勝手にまとめるヨーロッパの都市計画史(仏)
完全にメモ(・ω・)ノ
網羅しません。。それ以前にこれ見る人いるのか。。。。。。
フランス
ということでまずはフランスから。。。
概要
1789のフランス革命を契機にそれまで王室や貴族が所有していた庭園が一般に公開された。その後19世紀になると産業革命の影響を受け、パリでも都市化が進み、都市としての大改造を行うこととなる。
ナポレオン3世はパリを擁すセーヌ県知事にオスマンを任命し、パリ大改造を命じる。オスマンは「道路・上下水道・公園緑地」の3つを関連させた計画を立て、公園緑地の実務をアルファンに任命し、ブローニュの森・モンソー公園・ビュットショーモン公園などを手がけた。
- 首都であるパリは都市公園が大きな役割を担い、世界有数規模のメトロポリス(metropolis, 主要都市)の1つ。
- 現代のパリの公園システムはナポレオン3世(1808-1873)時代に確立されたと言っても過言ではない。
日本との関係...
ナポレオン3世の招待で徳川昭武がブローニュの森・ビュットショーモン公園を視察
→1904の日比谷公園開園に関わり
1852/12/02 第二帝政の始まり(1852〜1870)
1853-1870 パリでの大規模都市改造
(この時パリは危機的な財政状況-->セーヌ県知事らの抵抗により当初実現せず)
1853/07 オスマン男爵をセーヌ県知事に任命
-->パリ大改造の始まり
パリ大改造
予算の関係から、3期に分けられた
・第一期改造
ブローニュの森を都市公園として整備
・第二期改造
ヴァンセンヌの森が都市公園として整備(1858〜)
モンソー公園の設立(1861)
・第三期改造
ビュットショーモン公園を都市公園として整備・設立(1864-1867)
モンスーリ公園の設立準備が進められる
(1)ブローニュの森・ヴァンセンヌの森
ナポレオン3世-->ガーデニング趣味
ブローニュの森をハイドパークやリージェントパークのようにしたい!!! #これが彼の夢だったらしい
シャンゼリゼ大通りやオペラ座等の公共の建物、インフラ等の大規模な整備の中で森・都市公園の設立が最優先事項に。
ブローニュの森を左肺、ヴァンセンヌの森を右肺とするなどパリ大改造を放射状に捉えていた。
ブローニュの森
・整備:アルファンが実務(理工科学校卒のエリート官僚造園技師)
・総工費:1430万フラン(公園沿いのニューイ(Neuilly)売却により1090万フラン獲得、パリ市の実際の負担は340万フラン(政府の補助金あり))
・ロンシャン競技場(Hippodrome de Longchamp)の建設で公園維持管理費用を捻出
アルファンはオスマンの部下としてプロムナード・植樹局(Service des Promenades et Plantation)の局長に就任。
余談(っ ` -´ c)
1859 ブローニュの森にオルムステッド(当時37)が訪れ、アルファン(42)に会ったらしい。
(2)モンソー・ビュットショーモン・モンスーリ公園
3公園のいずれも、当時の仏では珍しかったイギリス庭園(Jardin Amglais)の形に整備されている。
-->ナポ3、オスマン、アルファンがイギリスの田園風景が好きだった
・イギリスの”絵画様式(ピクチャレスク、picturesque)”の田園風景をルーツ
・19世紀後半からは英の庭園様式の影響を受ける
・影響は整備費用の調達法にまで
公園用地周辺に住宅造成-->
宅地・住宅の販売利益で公園の整備費用を賄う
または
受益者エリアを設け、整備費用を徴収)
ビュットショーモン公園(アルファン・中心部に池と岩山)*1
(3)アルファンの公園システム
公園緑地の面積によりカテゴリーを設けた
・フォレ(森)900ha前後の緑地
・パルク(公園)9〜25haの公園
・スクワール(広場)0.2〜2.5haの小公園
幅員20m以上の道路には街路樹
ブローニュの森とヴァンセンヌの森を帯状の緑地街路でつなごうと試みた
-->ブールバール(帯状の緑地帯)
フランスの再開発
国際コンペで採択 ラ・ビィレット公園(建築家のチュミ作)
*1 http://static-wan.wanarun.org/thumbs/6/1/7/8/map-16178-l.gif
参考文献
久末弥生(2012)「地域活性化ニューズレター 02.パリ大改造と都市公園システム」
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111S0000004-3-3.pdf